魔界少女キャシーと殺人人形

Do you know "Creepy Doll Movies"?

~父親の死と向き合って~『デビル・ドール』

f:id:nekubo:20181025200729j:image

 『インデペンデンス・デイ』『ホワイトハウス・ダウン』などで知られるローランド・エメリッヒ監督の初期長編第4作。この映画は、まだ10にもならない少年ジョーイが大好きな父親を失うところからはじまり、彼がそのことにどう向き合っていくのかを描いた少年期の人形ホラー映画である。

f:id:nekubo:20181024172928p:image

 ポール・ギルリースのスコアにのせて、ジョーイの父親の葬式が描かれるというなんとも切ないオープニングは、私の中の「好きな映画のオープニング」のベストに入る。

 

 ジョーイは9歳の少年だ。まだまだ親が恋しい年頃に大好きな父親を亡くす。多くの人がいずれは経験するであろう"親の死"という人生における大きな壁の一つが、早くも9歳の少年の前に立ち塞がる。

 当然のことながら、父親の葬式が終わってからもジョーイの悲しみはつづいていた。毎晩のように自室でジョーイは、亡き父親と自分が写った写真を眺めながらつぶやく。「父さん、さびしいよ。会いたいよ。」と。

f:id:nekubo:20181025183206p:image

 ある夜、まるでジョーイの想いが父親に届いたかのように、彼の部屋のおもちゃ達がひとりでに動き出した。その中の一つである赤いおもちゃの電話から、鳴るはずのないベルが鳴る。

f:id:nekubo:20181024172559p:image

 ジョーイはおそるおそる受話器を手に取った。そこから聞こえてきたのは、大好きな父親の声。その日から彼は、赤いおもちゃの電話のベルが鳴るのを待ち、死んだはずの父親と電話をするようになる。

 しばらくしてジョーイは学校へ復帰する。しかし、死んだ父親と電話ができるなんてことをクラスメイトに話してしまったもんだから、いじめの的になってしまう。その結果、ジョーイは不登校児となってしまうが、彼にはそのほうが幸せだった。

 学校へ行けばクラスメイトから父親の存在を否定され、ジョーイのことをかばってくれる先生は、かばっているようでいて彼の父親が死んだことを前提にした物言いしかできない。今のジョーイにとっての学校という場は自分にとっての不都合でしかなかった。

 この現状というのは、今のジョーイ本人にとっては良いのかもしれないが、将来的な目でみれば非常に大きな危険を孕んでいる。というのも、嫌な現実を突きつけられる場(=学校)から逃避し、自分だけが信じる世界に逃げ込むということは、いつまで経っても彼の将来的な成長に繋がらないからだ。

 愛する者との別れや大きな悲しみは、今を生きる誰もが経験することである。それを乗り越えて人は成長する。自分を信じること、自分の世界を信じることは間違っているとは思わない。しかし、自分自身が納得しているだけの世界に籠ることとは違う。

 そんな彼の成長の懸け橋になってくれるのが、この映画を人形ホラーたらしめている“あるモノ”の存在である。そのあるモノとは、完全な不登校児と化したジョーイが廃屋で見つけた腹話術人形だ。この腹話術人形には悪魔が宿っていた。

f:id:nekubo:20181025081511p:image
 悪魔の腹話術人形は、甦るやいなや、容赦なくジョーイの気持ちを踏みにじりにかかる。ジョーイの父親のふりをして嘘の電話を掛け、「今までお前が電話してたのは父親なんかじゃない!」と言い放つ。
 これはジョーイにとって、大好きな父親の存在を否定されるも同然のことだ。つまり、現実から目を背けようと逃げ出した学校と同じ状況なのである。しかし、学校とは違って相手は悪魔の人形だ。こいつのせいで大好きな父親とも電話ができなくなっている。そうなれば立ち向かうしかない。父親との繋がりを断たせないために。

 この悪魔の腹話術人形はジョーイの辛い現実を体現した存在だと言える。ジョーイがこの人形に立ち向かうということは、これまで彼が逃げ続けてきた辛い現実に向き合うということだ。

 実際にジョーイが人形と対峙する手前の場面で彼はは「立ち向かわなきゃ…」と呟き、人形との最終決戦に挑んでいく。その結果、ジョーイは見事に悪魔の人形を撃退する。その見返りというわけではないが、一時的に彼は、命を落とすことになる。

 悪魔の人形を倒すには、天国にいる父親の力が必要だった。それが何故なのかはいまいちよく分からないのだが、ジョーイはそこで初めて、死後の父親と対面する。

 "悪魔の人形に立ち向かうということは、辛い現実に向き合うということであり、悪魔の人形を打ち負かすためには、父親の死に向き合わねばならない"ということを、この映画は率直に描いているのだ。

  何かと不器用な映画ではあるが、"人形と子供"という親和性の高さを活かし、それを人形ホラーというジャンルに落とし込みつつ、少年期の成長物語として描いたこの映画を無視はできない。

 しかしながら日本ではソフト化に恵まれておらず、いまだにVHSのみでしか観ることができないのが非常に残念だ。どこかで観る機会を得られるのならぜひとも観てほしい。アラはあるが、テーマとしては非常に真っ当なジュブナイル人形ホラー映画である。

 

 

 …悪魔の人形を倒したジョーイは一時的に命を落としている。この「一時的」という部分が大切だ。つまり、彼は死後の世界から現世へと帰ってくる。

 天国にいる父親と向き合った時、ジョーイはそこに留まることもできたはずである。大好きな父親と死後の世界で幸せに暮らせたかもしれない。

 

それでもジョーイは帰ってきたのだ。

f:id:nekubo:20181025200015p:image